やがて鐘が鳴る

まえがき

このカテゴリは私の書いた自作小説を公開する為のものです。私がメインで活動しているのはpixivというサイトで、一部の作品はカクヨムでも読めます。

この「やがて鐘が鳴る」という作品は、私が久し振りに『小説を書こう』と思って書いた作品です。旧題は「サニー・サンディ・スマイル」というタイトルで、小説家になろうというサイトで公開していました。同じタイトルのままpixivに移行、その後に内容を大幅に修正し、現在のタイトルになりました。

本文

 「なんとなく」にしてしまうことって、人生においてよくあることだと思うんだけれど、だいたいそれって、あとになってみると結構重要だったりするんだな。
 例えば、そうだな。君は本屋に来たとする。そのときに、どうしても欲しかった本を君は見つける。君がずっと探していた本だ。今は絶版になっていて、なかなか見つけることが出来なかった本。財布を確認すると、残念ながら手持ちのお金がない。でも本は欲しい。そうだよね? 君はその本をずっと探していたんだから。仕方なく、君は一度家に帰る。親にお金を借りてから、もう一度急いでそのお店に行く。でも残念ながら本は売り切れている。そのときに、君は店員に一言声をかけて、とっておいて貰えばよかったんだよね。そうすれば君は欲しかった本を買えたはずだ。たったの一言で、だよ。お金を使わなかったことは、ある意味では良いことかもしれない。でも、君の心はお金を無くしたときより、沈んでいるはずだ。

 そういった「なんとなく」見過ごされたことでも、「何か」をすれば、もしかしたら取り戻せるのではないか? っていうことなんだ。
 もちろん、現実的に取り戻せない事だってある。時間はどうだろう。君は一分前に戻ることってできる? 出来ないよね。それでも、過去について考えることは出来ると思うんだ。こういうときにどうすれば良かったのかって、さ。
 君は別の日に他の本屋に行く。また欲しかった本を見付けたとする。財布を見るまでもなく、お金は足りない。どうする? また家まで走る? 違うよね。君はもう間違えないはずだよ。君は本を手にとって、レジに持って行く。そして店員に言う。
 「すみません、あとで買いに来ますので、この本とっておいてもらえますか?」
 正解。そのほんの少しの行動が、「何か」なんだ。僕がこの話で言いたいのは、本当にそれだけ。だから、もしこれ以上細かいことを聞きたくないのであれば、話はここで終りにしても構わない。だって、僕の言いたいことって、本当にそれだけだから。

 僕の話を遮らないって事は、最後まで聞いてくれるってことでいいのかな? じゃあ、話を始めよう。
 僕は今、二十歳の大学生なのだけれど、この話は僕が十八歳の高校生の頃の話。

 良く晴れたある日曜日、僕は駅前で女の子の友達と待ち合わせをしていた。彼女の名前は、木ノ下夕紀といって、僕とは小学校からの付き合い。付き合いって言っても、付き合っているわけじゃない。友達だ。その彼女と一緒に買い物に行くために、僕は駅で待っていた。僕は基本的に十五分前に着くように行動をする。なぜなら自分が待つのは良いけれど、誰かを待たせるのは好きじゃないから。特に女の子を待たせるなんて、落ち着かないじゃないか。友達であれ、なんであれさ。そう思わないかい? ……まあ、そう思えない人が沢山いるってのは知っているんだけどさ。
 そんなことを考えながら、ふと腕時計を見ると時間はもう約束の五分前。そろそろ来る頃だと思った。夕紀は時間に正確なんだ。駅の入り口を見たら、案の定、彼女の姿が見えた。僕は手を振る。彼女も僕に気が付いて、同じように手を振ってくれる。初めて見るピンクのステンコートになんだか春を感じた。まだ十二月だから、春はちょっと遠いんだけどさ。でもそれはきっと服装のせいだけじゃないんだな。
 彼女のことは小学校のときから知っている。彼女は学年一の美人ってわけじゃないけれど、そうだな……、学年で十番には入るだろう。みんな好みがあるから、誰が一番なんてそれぞれ違うと君は思うかもしれない。でも、不思議と十五番くらいまでの順序ってのは、みんな同じなんだな。そんな女の子が、どうしてクラスでマイナーな存在である僕と一緒に買い物に出かけるのか? と君は思うかもしれない。それは、彼女の兄と僕の姉が付き合っているからなんだ。彼らは、中学時代からずっと付き合っている。当時小学生だった僕と夕紀も、彼らのデートに付き合わされた。お互いの両親が考えた、中学生だった二人にセックスをさせないための方法だったんだ。確かに、それはある時までは効果的だったと思う。だって彼らは、僕たちと一緒にいるときは手さえも繋がなかったんだからね。

 夕紀が僕の隣に来たので、一緒に歩き出す。夕紀の横顔が、心なしかいつもより硬い気がした。
「待った?」夕紀が十二月の気温より冷えた声で僕に言う。たとえ君が、路上に転がっている潰された空き缶のように鈍感だとしても、彼女の機嫌が悪いことくらいは分かるはずだよ。
「いや、全然」僕はそれには気が付かない振りをして答える。もしかしたらだけど、気のせいかも知れないからね。そう思いたいだけっていうのは分かっているんだけれど。
「本当は、待ったでしょう?」彼女の言葉はさっきより格段に冷えている。今にも雪が降りそうだ。
「いや、待ってないよ。十五分くらいだから」僕は、あくまで落ち着いて答えた。火に油を注ぐような真似は絶対にしない。こっちがむきになったところで、女の子の怒りってのは収まらないんだ。
「普通は十五分って、待つうちに入らない?」
「普通は入っても、僕は入らない」
「本当に?」
「本当さ」
 多分夕紀は、自分が待たせたことに対して怒っているんだと思う。そんなのはいつものことなんだけど、いつものことにさえ怒りたくなるくらい、今日は機嫌が悪いみたいだ。誰にだってあるよね? そうやって機嫌が悪くなるときって。僕は彼女と長い付き合いだから、目を見て言葉を交わせば、彼女の、怒り・喜び・悲しみ、間違いなく分かるんだ。今日の夕紀は、今までの経験の中でも一位、二位を争うくらい機嫌が悪い。まいったな。今日は結婚する僕の姉と夕紀の兄の為に二人でお祝いの品を買いにきたのだから、気分的には機嫌が悪いとあんまりよろしくはないんだな。

 僕と夕紀は、同じ高校に通っている。僕は、詩歌同好会という同好会を主催していて、その会長だ。自分でいうとアホらしいけれど、正直なところ、僕は「会長」って柄ではないんだな。一人で好き勝手やることが性に合っている。それでも僕は同好会が作りたかった。詩について語れる人が欲しかったんだよ。どうしてもね。今まで詩について話が出来る人って、全くいなかったからね。そうなると、会長をやることは必然だったんだ。そうすれば、校内で多少融通が利くからさ。例えば図書室の本を制限無く借りられたり、とかね。

 同好会は、僕を含め三人。他の会員も三年生だから、残念だけれど今年度で消滅するのは間違いない。残りの二人の内一人は瀬野智美という名で、萩原朔太郎の熱心な愛好家だ。そして何故か中原中也を目の敵にしている。どうしてなんだろう? そういえば、理由を聞いた事がなかったな。もう一人は藤井美夏という名で、谷川俊太郎の愛好家。萩原朔太郎も中原中也も好きと来ている。いわば中間地点、二人の衝突を和らげる役割を果たしてくれている。だから彼女が休んだ時は最悪なんだ。嵐の中にいるかのような気分になる。それでも、詩について話が出来るこの同好会が僕は大好きなんだよ。自分の居場所って感じがしてさ。
 同好会といっても活動は個人的だ。週に二回放課後に教室を借りて、それぞれが好きなことに向かい合う。僕はというと、中原中也の「七銭でバットを買って」とか「宿酔」を声に出して読む。この二つは僕のお気に入りなんだ。残りの二人は熱心に私物の詩集を読んだり、ノートに考察をしたりする。時々、二人が熱い想いについて語りだすことがあって、僕もそこに参加をすることがある。自分の好きなものを全力で語った事ってある? ごく控えめに言って、最高だよ。冗談抜きでね。

 木曜日、放課後。僕は立原道造の詩を音読していた。立原道造も好きなんだよ。彼と中原中也の魅力なら一晩中だって語れるさ。もっともそんな話を聞きたがる物好きがいるとは思えないけれどね。確か、一度だけ夕紀に話をしようとしたことがある。夕紀が聞きたがったからね。その時は、何か他に用事が入って話ができなかったんだ。だから、僕が語る二人の詩人について、話を聞いてくれた人はいまのところ誰もいない。
 他の二人はというと、ノートを取っている。普段の同好会の光景だ。我々の着ている制服が夏服か、冬服か、あるいは、窓から入る光の差し込む角度が違うか、くらいしか見分けがつかないだろうな。

 僕が音読をするから、いつも閉まっている教室のドアが、ガラッと開いた。一人の男が入ってくる。彼は、まっすぐ藤井美夏のもとへ向かう。僕と瀬野のことは、影さえ視界に入れていないかのように、まっすぐと。
「どうして連絡をくれないんだ?」
 ゴールラインに着いた彼は口を開く。藤井はノートからゆっくりと顔を上げて彼の顔を見る。
「……」藤井は彼の顔を見るだけ。じっと。おそらく彼らにしか通じない、言語を目から発しているのだと思う。濃密なコミュニケーションだ。羨ましいくらいに。
「どうしてだ? せめて理由だけでも聞かせてくれ」
「どうして私が連絡するはずだって、思うの? 逆に聞くけれど」
 藤井の答えは、彼が期待していた言葉ではなかったようだ。少したじろいだように見えた。
「それは……そうだよな。わかったよ。じゃあ、これでよ」
「わかったもなにもないじゃない。相変わらず勝手だね」藤井は彼のセリフを遮って答えた。コミュニケーションはどうやら失敗に終わったらしい。彼は黙って教室から出ていった。
 僕は瀬野の方を見る。彼女も僕の方を見る。一瞬だけ目を合わせて、すぐ逸らす。窓から差し込む冬の光で、教室には影が伸びている。何かが終わったかのような光景。いや、実際、彼の恋は終わったのかもしれないけれど。
「私、帰ってもいい?」藤井が黒板の方を見て囁くように言った。さっきの騒動で教室には静けさが満ちていたから、その声でも必要十分に感じた。僕は頷く。
「じゃあ、私も。一緒に帰ろうか」瀬野も鞄を取る。いつもは別々に帰るのだけれど、今日は瀬野も気を使ってくれたみたいだ。素晴らしい結束力だ。これぞ同好会だ。心の中でつぶやいて、出ていく二人を見送る。僕も教室から出る。
 下駄箱に着いたときに、ちょうどチャイムが鳴った。この鐘で他の部活も終りだろう。靴を履きかえていると、ちょうどそこに夕紀が来た。
「お疲れ様ー、帰ろう……どしたの? なんか元気ないね。また瀬野さんに怒られた?」夕紀はいつも通りだ。放課後だっていうのに、まったく疲れを感じさせない。僕はさっきの出来事でクタクタだ。
「あのね……またって何よ。それより、なんだかよく分からないことが起きたんだ。どうしたかっていうとね、」
「ちょっといいかな?」僕の台詞を遮る声がした。声のした方を見たら、さっきの男が立っている。
「できたら話を聞いてもらえないかな? そんなに時間はとらせないから」彼は、何事もなかったかのようなテンションで僕に言う。
「僕に? なんで?」なるべく疲れを出さないようにそう言ったのだが、あまりうまくいった気がしなかった。
「君ならきっと話を聞いてくれるだろうと思ったんだ」
 僕は夕紀を見る。彼女は彼の方を見て小さく頷いた。僕はため息をつこうと思ったけれど、ついたところで問題が解決するかというとそんなことはない。だから無駄なエネルギーを使うのはやめた。

 学校近くのファミリーレストラン。席に着いたとたんに彼は語りだした。どうして話をしたい人っていうのは、話し出したら止まらないんだろう? 僕と夕紀がしたことと言えば、頷いたこと、相槌を打ったこと、飲み物を飲んだこと。長時間の話を聞いて、僕はさらに疲れたよ。彼の話を要約すると、『彼は、藤井と付き合っていると思っていたが違っていた』。それを聞いても、僕と夕紀に何かできるわけではないんだな。ただ彼は誰かに話したかっただけ。話をするだけで心が軽くなることがある。むしろ、詳しく知らない僕と夕紀だからこそ、彼は話をしたかったんだと思う。細かく話をすることによって、彼は間違っているのが自分ではないと思いたかったんじゃないかな。そんな気がする。

 金曜日、学校に着いてスマートフォンを確認したら、瀬野からメールが来ていた。珍しい。開くと、放課後に話したいことがあるとのこと。返信して、一日ぼんやりと退屈な授業を受けた。メールのことは考えないようにしていたんだけれど、まあ無理だよね。わかるよね? この感じって。本当に考えなければいけないことは、そうしないようにしようとしても、考えてしまうものなんだ。いつだって。
 授業が終わって、いつも同好会で使っている教室に行くと、瀬野が机に座って待っていた。
「遅い」
 椅子じゃ無くて机に座っているということは、彼女が待ちくたびれて、怒りにまで発展してしまったということを態度で表しているということ。
「お待たせ。で、話って何? 藤井のことでしょ?」
「そうなんだけど、その前に、ねえ、中原中也がなんで好きなのかを教えてよ。そういえば聞いたことって無かった気がするの。萩原朔太郎は駄目?」
「いや、駄目ってことないよ。でもね、少し違うんだな。中原中也の何が好きかっていうとさ……」
「うん」
 僕は考える。考えてみても、それを上手く言葉にすることが出来ない。改めて聞かれると困るなあ。でもこれって、もしかしてこのこと以外にもあるのかもしれない。
「……うまく説明できないな」
「どうして? 好きなんでしょう?」
「そうだよ、好きだ。確かに好きなんだけれど、好きってことを説明しろと言われたら難しい」僕の答えを聞いて、瀬野は少しだけ首を傾げる。
「うーん……それってあんまり良くない気がするな。好きってことを説明できるようにならないと駄目なんじゃないかな。私はそう思うけれど」
「そうだよね。……そうだね」

 このあと瀬野と藤井のことについて詳しく話をしたわけだけれど……簡単に言うと、『藤井は夕紀が好き。そして、夕紀とお近づきになるためにこの同好会に入った』。
 さて、どうしたものかな。

 土曜日、学校は休み。僕は何故か瀬野と待ち合わせをしていた。どうしてこうなったのかということを説明しよう。金曜日の放課後のことね、念の為。

「というわけでね、藤井はとにかく木ノ下さんと仲良くなりたいって言っているの。あなた仲良いじゃない」
「まぁ……ね。確かに仲は良いけれど……」
「仲は良いけれど、木ノ下さんのことは好きじゃないと」
「誰が?」
「あなたよ。ここには私とあなたしかいないでしょう?」
 僕は彼女の一言を聞いて頭をがつんと殴られたような気分になった。僕は殴られたところを手のひらでさすった。
「なにやっているの?」
「いや、頭が痛くてね……」
「お大事に。それで明日ね」
「うん」僕は頭をさするのをやめた。
「藤井が木ノ下さんを誘ったみたいなのよ」
「へえ」
「へぇじゃないでしょう」
「なんで?」
「明日は藤井と一緒だけれど、もしそれが男の子だったらどうする?」
 想像する。それくらいは僕だってできる。
「まぁ、あんまりいい気分じゃないね」
 僕の答えを聞いた瀬野は笑っている。
「多分、それがあなたの答えなのよ」
 
 その日何をしたのかと言うと、瀬野と一緒に夕紀たちの行動を見張ったってわけ。何をやっているんだろうね、本当。これじゃあ尾行だよ。こんなことをして一体何になる? 帰ろうかと思うのだけれど、まだ瀬野の姿は見えない。いくらなんでも黙って帰るわけにはいかない。
「お待たせ」
 瀬野の声がした。スマートフォンで時間を確認する。時間ぴったり。一分の狂いもない。
「じゃあ、早速行きましょう」
「どこで何するって知っているの?」
「藤井に聞いたわ」
 少し歩いて、着いたところはコーヒーショップ。瀬野が案内してくれた席は柱の影になるところで、確かにここなら他の人に見つかりにくそうな席だった。
「確かに見つかりにくそうだけれど、本当に大丈夫かな?」
「ま、うまくやってみるしかないわね」
 瀬野はなんだか楽しそうに見えた。同好会で、僕を言葉巧みに攻めてくる時と同じくらいには。僕たちは買った飲み物をテーブルに置いて、椅子に座る。ストローの袋を開けて、飲み物にさしたところで瀬野が入り口を凝視する。
「来たわよ」
「はいはい」
 少なくとも、夕紀と藤井が注文して席に着くまでは、隠れなければいけない。今見つかったら終わりだ。僕と瀬野はテーブルの上で小さくなる。必然的に顔を近づけざるを得ない。
「私」
 小さい声で瀬野が話し出す。黙ってた方が良いと思うけれど。
「ああ、なに」
「美人だと思わない?」
 何言ってるんだ、この娘は。
「……よく自分で言うよね」
「だって本当じゃない?」
 改めて見てみる。いつも顔を合わせているから、こうやってじっくりと顔を見ることって、そういえば無かった気がする。まず、目が大きい。多分夕紀より大きいと思う。そして、
「木ノ下さんとは比較しない様に」
「なんでわかったの」
「あなたの目の中に木ノ下さんが見えたから」
 僕は苦笑して、横目で見る。夕紀と藤井は窓の近くの席に行った。小さくなっていた上半身を元に戻す。僕が手前側に座っていて、瀬野が奥の席に座っているから、僕は振り返らないと夕紀たちを見ることが出来ない。だから、主な監視は瀬野に頼まざるを得ない。
「どう? 二人」僕はアイスコーヒーを飲みながら聞く。
「うん、うーーん……楽しそうに話しているわよ」
 僕も少し振り返ってみてみる。……確かに楽しそうにしている。夕紀のあんなに楽しそうな笑顔って、初めて見た気がするな。なんだろ、少し引っ掛かるものがある。それって、もしかして……
「ちょっと考えたいんだけど、いいかな」
「どうぞ。私が見ているから」
 さっきの夕紀の笑顔を見て、昨日の藤井との会話を思い出していた。僕は夕紀のことが好きなのかも知れない。自分の感情なのに『かもしれない』というのはおかしいと君は思うだろう。でもだよ、自分の感情って、君は断言できるかい? 僕は今まで、そこに真剣に向き合ってこなかったんだろうな。だから、好きだってことがよく分からないんだ。あるいは、その感情は僕にとって当たり前過ぎたのかもしれない。だから、考えなくてもあるものだと思っていたんだ。でもそれって、本当はものすごい不安定なものだよね。昨日瀬野に言われたことを考えてみよう。
 仮に、だよ。『もし今夕紀が藤井とじゃなく、男と一緒だったらどうか?』想像してみよう。あの笑顔を他の誰かに……

 ドン。思わずテーブルを殴る。テーブルのコーヒーが二つ、一瞬、宙に浮いた。
「何やっているのよ、馬鹿」瀬野の言葉で我に返る。
「ごめんごめん」これじゃあ見付かっちまうよ。夕紀達の方を見る瀬野に声をかける。
「大丈夫そう?」
「うん……うん、たぶんね」なら良かった。「あ……もう帰るみたい。ちょっとまた小さくなって」
 夕紀と藤井は、さっき店に来たばかりのような気がするんだけど、思ったより時間は立っていたのだろうか? まさか見つかってはいないと思うけれど。
「はいはい」言われた通り、僕と瀬野はまたテーブルの上で小さくなる。今度はお互い何も言わない。耳をすませていると、夕紀と藤井の声がする。そしてその声が遠くなり、自動ドアが閉まる音がする。僕と瀬野は同時に大きいため息をついて、離れる。
「じゃあ、私たちも帰りましょう」
「そうだね」
 店をでる。僕は自分の気持ちを気付かせてくれた瀬野にお礼を言った。「どうもありがとう」
 瀬野は僕を見て小さく微笑んだだけで、何も言わずに手を振って歩いて行ってしまった。なんだか恋愛映画のラストシーンみたいじゃないか。いや、恋愛じゃなくて失恋映画か。別れのシーン。今度の同好会の時にまたお礼を言っておこう。僕も家に向かって歩き出す。次に夕紀に会った時に、言うべき言葉を考えながら。

 日曜日の続き。僕は夕紀と歩いている。彼女は相変わらず怒っている。
「ところでさ、なんでそんなに怒っているの?」
「昨日」
「昨日?」
「私たちのこと、見てたでしょう」
「え? もしかしてばれてた?」
「ドンって音がしたときに」
「バレてたんだ。ごめん……」
「まあ、良いんだけどね、瀬野さんと一緒にいたでしょう?」
「そうだね」
「だから怒っているの」
「え? 同好会ではいつも一緒じゃない」
「会では藤井さんもいるでしょう」
 まあそうだけれどさ。藤井の話が出たから聞いてみる。
「ところで藤井はなんて?」
 僕の答えに、夕紀は少しだけ影のある笑顔を浮かべた。どうやら、それが質問の答えらしい。僕も、もうそれ以上何も聞かないことに決めた。
 僕は改めて、自分が本当に何も気が付いていなかったことを知った。ずっと、「なんとなく」にしていたこと。見過ごしていたこと。夕紀はいつも僕の隣にいたんだ。姉のデートに同行して行った場所で、初めて夕紀と交わした言葉。小学校で、初めて同じクラスになった時。同じ高校に行くために、一緒に勉強した中学の夏休み。二人で見に行った合格発表。そして、今も。
 僕は、彼女の表情を沢山見てきた。ようやく気が付いたんだ、僕は彼女が好きだってことに。僕が夕紀を「好き」な理由なら百個だって言える。大きな目だったり、いつも揃えている前髪だったり、きちんと駄目なことは駄目と言ってくれることだったり、すぐ怒るけれど、ちゃんと謝ってくれることだったり、僕に向けてくれる笑顔だったり。きりがないからここでやめておくけれどさ。
 「何か」をすることって、本当はとても簡単だったんだ。行動が遅すぎだと、君は思うかもしれない。確かに、ある意味では遅すぎたのかもしれない。だけど、ほんの少しの行動をするのに、遅すぎることなんてないんだよ。本当だよ。これ、是非覚えておいて欲しい。

「ねえ、夕紀」
「なあに?」
「ちょっと大事な話なんだけどさ」
「歩きながら?」
「……そうだね、ちょっとこのシチュエーションじゃあ格好悪いけれど、これが僕なんだ」
 夕紀は笑う。「よく知っている。じゃあ、そこの公園行こ?」
 運よく小さな公園があった。まるで誂えたみたいじゃないか。僕と夕紀はそこに入る。そこで僕は、夕紀と向かい合う。夕紀の目を見る。
「僕さ、夕紀のこと大好きなんだ」
 彼女はそれを聞いても、特に驚いたような感じは無い。いつも通り。だけど、僕と夕紀は長い付き合いだから、彼女の目を見れば、怒り・喜び・悲しみ・愛情、間違いなく分かるんだ。夕紀も、僕の目を見る。いつもみたいに。そして彼女は、ゆっくりと口を開く。それを聞いて、僕は微笑む。そして僕は、今までよりも一歩、彼女に近づくために足を踏み出す。

 さて。僕は今、二十歳の大学生。ここで僕の過去の話はお終い。……え? 僕と夕紀がどうなったか気になるって? まあ、そりゃそうだよね。僕が告白したところで終わっているものね。でも、あえてここで終りにするのも悪くないと思わないかい? いろいろと想像出来るじゃないか。
 例えば、僕と瀬野が付き合っている。
 例えば、僕と藤井が付き合っている。
 例えば、僕は相変わらず一人……どれだろう?
 正解は、この中にないよ。え? それはずるいって? ……そうだね。確かにちょっとずるいかもしれないな。じゃあ、ヒントを出そう。その人は、僕が好きな二人の詩人について、一晩中話を聞いてくれた人だ。これで分かるよね? なんだって? 分からないって? そうか。じゃあ……お、電話だ。誰だろう? 申し訳ないんだけれど、ちょっと待っててもらえるかな? 
 僕はスマートフォンを通話にして、耳にあてる。
「もしもし?」
「私」
 聞き慣れた声。
 
「ねえ」僕は、会話が途切れた瞬間に、彼女に言う。
「なあに?」
「大好き」
 電話口からは、聞き慣れた返事が返ってくる。何処か遠くで鳴っている、何かを祝福する鐘の音のように、僕の耳に。

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村